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けんじぃ

Author:けんじぃ
大学院中退現在25歳。
既卒3年目です。
今年二度目のチャレンジ!!
何とか内定をゲットです!


♪自己紹介♪

~性格~
単純、極端。

~好きなもの~
B’z スピッツ☆
甘いもの♪
日本酒!
バドミントン!

~嫌いなもの~
は虫類
刺激物(食べ物や格闘技)


アドバイスなどあれば、コメント
おねがいします!

H19年度結果

国Ⅰ→一次不合格

裁事Ⅱ→一次合格!!!
    二次不合格(--;

国税→ 一次不合格

国Ⅱ→ 一次合格!!
    二次合格!!!
    内定!!!!

地上→ 一次合格!! 
    二次不合格(--、。

市B日程→ 一次合格!!
      二次不合格

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履修不足問題
おはよーございます!! 
えー、世間では未履修の高校生が卒業できない危機にあるっということが問題になっていますね。その中で週5日制が問題になっていますw

今日はこのことについて思うところを書いてみたいと思ってます!

【昨日の出来事】

 9時半 ~ 13時  仕事

13時  ~ 14時半 昼食 買い物

14時半 ~ 17時  憲法インプット

17時  ~ 19時  自己分析

19時  ~ 21時  行政法インプット

21時  ~ 24時  民法インプット

【反省】 
 昨日は時間を確保できたのですが、内容が手探り状態です。

 段々と定義集は、完成していて、わからなかったらこれを見ればいいwっというノートが出来上がりつつあるのですw

 試験の前に確認できるようなものになればいいなぁっと思っています。そろそろ、教養、経済学も始めたいと思ってます。(前にもいってなかったか???お?

【感謝】
 僕は小学校5,6年のときの先生にとても感謝しています。今はたぶん教頭先生になっているのだと思うのですが、校長先生になったら、すごい学校になるなぁなんて思う先生です。

 その先生には、小学生の頃の僕に論理の世界を見せてくださったと思っています。どのように問題を解決するか、独りの人間じゃなく、会議という複数の人間の中での話し合いの仕方について、わかりやすく教えていただきました。

 それだからか、今でも会議や、議論をすることに抵抗を感じたりめんどくさいなんて思うことは少ないですw
 ちゃんと受かればその先生に挨拶にいきたいです!!ありがとうw

【必要科目履修偽装疑惑】

 えー、この小見出しはあるサイトからの引用ですwhttp://www.yabelab.net/blog/2006/10/25-234913.php

さて、今回の問題は、2003年の指導要綱改定によって、週5日制度が確立したことにあるという議論がありますねw

 僕は教育問題に他の問題以上に興味を持っています。そこで、僕の思うところをつらつら書いてみたいと思います!w
 2003年までの日本の戦後教育は、詰め込み型教育で応用が利かない。そこで勉強にも個性を導入し、独学の時間を増やし、ゆとりを持って勉強をさせようじゃないですかwということだったと僕は考えています。

 背景としては、資本主義社会のための学問が強調されてきたということがあるんじゃないか???と思っています。

 どういうことかといいますと、冷静時代、共産主義の世界で人気のあった大学の学部といえば、純粋数学、哲学、倫理、政治学、文学、など人間の内面の成長に寄与する学問でした。金銭的な利益の出ない学問だったのです。

 その学問の世界では、人々は理論の世界に入り自分の立てた理論を他人に披露することでものの見方の多様化により、内面を成長させることができたのです。一方でそのもの事態を社会に活かすことは難しいのですが。

 そして、資本主義社会で人気のある学部といえば、法学、経済学、医学、など、現実社会に活かすことができる学問分野です。一方で、共産主義の世界で人気のあった学問はどんどん削減されていく。
 そのために倫理観の欠けた法学者、医学者、理想を持たない政治家、などが増えてきたということがいえると思います。

 っということで、自分の内面を成長させるために、独学の時間を持つために週5日制を導入が図られたのです。(本当か?wいや、そう解釈しています。すみませんw独善的でw

 しかし、大学入試は相変わらず制度が変わっておらず、学習指導要綱の理念や制度と、それを支える精神が乖離してしまっているのです。

 つまり、大学入試が変わっていないのに高校のシステムが変わっているのです。今回の問題は、古いシステムである大学入試制度に、新しいシステムである高校教育があわせたために起きたものだということができるのです。

 大学入試のために、時間を割かせてあげたい校長先生の意向は、僕も尊重?許してあげたい気分です。また文科省のこれからの日本のための教育制度改革にも賛成です。

 この問題を解決するには、
 大学入試の試験科目を見直すことだと考えます。
 
 高校教育というものが、大学入試の予備校化している現状は忌忌しき問題ではありますが、地方出身の僕にとってはしょうがないことだとも思っています。しかし果たしてそれで、人間的に成長した大人に導いていってあげられるのか、考えなければならないと思います。

っとまたまったまとまりのない駄文で、しかも意味不明なところがあるかもしれません。。。すみません。

 ご意見お待ちしておりますw今日も勉強がんばります!!w
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この記事に対するコメント
こんにちは
一般的におっしゃるとおりだと思います。

わたくしごとで恐縮ですが、その昔、わたくしは大学は哲学科を選び卒業しました。
おっしゃるように私の時代も(特に)「資本主義社会のための学問」を選択するのが普通で、学問への興味で大学に行く、ましてや卒業後などの職業は全く考えないという姿勢で進学する者は少なかったと思います。

しかし、自分がそのようにやってきてどうだったのかと考えると、就職や職業選択・職業資格の取得のため法学部や経済学部や工学部などに進学したものと社会に出てからはそう変わらないということです。

アカデミアと実社会が区別できるのであれば別でしょうが、実社会のために大学があるとすれば、その大学に進学するために高校に進学するというのはごく一般の大学後の人生を考える人間にとってはそれでいいのではないかと思うわけです。

必修漏れの問題に関するわたくしの考えはブログに書いてありますが、まあたいしたことではありませんので・・。
【2006/10/27 10:52】 URL | aozora #Kdhexrh. [ 編集]

こんばんわ^^
 こんばんわー!!w aozoraさんコメントどうもありがとうございました^^
貴重なご意見ありがとうございますw
コメントの欄には言いことが量的に多くあるが、コンパクトなものにならざるを得ないことがありますね。何回コメントしてもらっても結構なのでこれからもよろしくお願いします!!

 三段落目、しかしの行からのコメントに少し、ん?っというところがありましたので質問させてください!!

「法学部や経済学部や工学部などに進学したものと社会に出てからはそう変わらないということです。」
このコメントの「そう変わらない」とは、具体的にいうとどういうものなのでしょうか???

 僕の解釈では、精神的な大人さとか、社会における人付き合いの仕方だとか、人間がトシをとるにつれて得る功績のこと、だと思いましたw
間違えでしたらすみません。。。

 この点に対する僕の反論?w的なことをいいますと。
1.法学部の人間と、史学科の人間とは、専門が違う点
  で、希望する職種が違うと考えていますwそう変わ
  らないどころか、全然大違いですw
  つまり、大学で専攻分野を社会に活かせる人は、そ  う変わらないわけではないと思うわけです。活かせ
  ない人は(例えば、法学部なのに、会計職、工学部
  なのに営業マン、また逆に経済学部なのに、工場の
  労働者)大学での勉強が足りなかったということで  しょう。(一概には言えません。誤解を与えるよう
  な発言ですが、わかりやすくいうために。)

2.高校の未履修科目があるからといってそう変わらな  いっということをおっしゃりたいのではないかな?
  っとaozoraさんのブログで思ったのですが、この点  に関して、未履修の科目があるということは、高校  の意義を失わせかねないと思うのです。

  つまり、大学に行くなら、高校を卒業しなくても可  能な制度が存在する以上、高校とは受験のための学  校ではないということがはっきりしています。
  ということは、高校で得られることは、学問的なこ  とと同じくらい違うものがあるのではないかっと思  うわけですww

と、ずいぶん偉そうなことを書いちゃいました。。。。非礼な点はお許しください。

またコメントお待ちしております!!!!!
【2006/10/27 22:11】 URL | けんじぃ #- [ 編集]

ありがとうございます
そうですね。言葉足らずだったでしょうね。
申し訳ありません。

さて、「そう変わらない」というのは、いわゆる「実社会」といわれるところで何らかの仕事をしている・していた人であればわかると思うのですが、その社会で自分がするべきことをするという立場であれば、その意味においてなにを学んでも同じだということです。

大学の専攻と職業が直線的に結びつくか結びつかないかとか、大学での専攻による発想が違うとか同じとかではなく、その人が選んだ職業で問われることは、職務における個人業績もしくはその組織での合計業績であり、加えて評価されることはそのプロセスと情意と職務に対する考え方とふるまいでしょう。

大学での専攻や専門性はその人にとっては一次的なものであっても、社会にとっては二次的なものでしょう。いまその職務をしている人が必要であり尊重されるべきものだからです。

職業はその人の意思で選択し、その職業につくための要件はその職業につこうと思った時点ではアプリオリなものですからそのために必要とされる専門的学問はその人に限って必要でその人自身が習得すべきものです。
つまりこれは、その人という限られた領域において一次的なもので、その人にとっては人生を左右するほどのものでしょうが、社会がその人にそれを強制しているのではないでしょう。

とても簡略化して言ってみることにします。例えば社会では医師を必要とします。その医師は当然医師になるための学問的要件が必要とされます。社会で医師といえば最低、そのような要件を満たした人を「医師」と考えるのであり、医師になるための学問それ自体を必要としているのでないということでしょう。

ゆえに、その人が社会で果たす役割を職業というかたちで実行する場合は、大学での学問が重要なのではなくその役割を果たす「その人」(パーソナリティーも業務知識も能力も成果も含めて全て)が重要なのであり、その意味で、どのような学問をしてきてもそう変わりない、同じだと申し上げた次第です。

ここまでがご質問の「そう変わらない」という私の趣旨です。一応考えを述べさせていただきました。


さて、大学で何を学ぶかということについては上記の通りその人にとっては一次的なものです。当然どの大学でどのようなものを学ぶのかは自由です。

ご指摘のように高校に進学せずとも大学受験はできますが、そもそも今回のテーマは「高校」の履修科目の運用の仕方の話がベースなので、高校に進学せずに大学受験をするということを主張してしまうと途端にテーマが不明確になるので恐縮ですが触れません。

「高校の未履修科目があるから」ということは私は私のブログで書いていたとは思っていないのですが、大学で何を学ぶかとかどのような大学に行くかというのはその人の自由なので、高校の履修科目の設定=卒業単位の認定もバリエーションを持って設定してはどうか、文科省が一律に全員同じ設定を設定しているがそれは妥当なのだろうか、との趣旨でわたくしはブログを書いたつもりなのですが、舌足らずだったのかもしれません。

教育に関していろいろな問題が提起されたり事件が顕在化している中で、教育を一義的一律的にコントロールしようということは良くないのではないか、という考え方から書いたものです。

わかりにくかったかもしれませんがこのように考えております
【2006/10/28 16:08】 URL | aozora #Kdhexrh. [ 編集]

こんにちわw
コメントどうもありがとうございます!!!

えー、実際僕は、コメントの欄で、議論をするのが初めてなもので、理解するのが遅いのかもしれませんw
なので、何回かかってもいいのでw議論を深めたいと思いますw
僕は皮肉を言うつもりもありません。純粋に質問しているので、優しく教えてもらっておきながら偉そうなこといってしまったらもうしわけないです。

さて、もっとaozoraさんの意見を詳しく教えてもらいたいので質問させてください!!!

1.「何らかの仕事をしている・していた人であればわかると思うのですが」
 こうおっしゃっていますが、僕は仕事をした経験が4年くらいなので、わからないのでしょうか???
何年くらい、もしくはどういう職業をすれば、わかるものなのでしょうか???

2.「その社会で自分がするべきことをするという立場であれば、その意味においてなにを学んでも同じだということです。」
ある社会で自分がするべきことをするという立場とは、一体具体的にはどういうものなのでしょうか?
管理職とか、係長とか、はたまた、医者とか弁護士とか、社会で果たすべき自分の職業ということでしょうか?

3.「その人が選んだ職業で問われることは、職務における個人業績もしくはその組織での合計業績であり、加えて評価されることはそのプロセスと情意と職務に対する考え方とふるまいでしょう。」
 職業で問われること=評価されることと捉えていいのでしょうか?
 
4.「とても簡略化して言ってみることにします。例えば社会では医師を必要とします。その医師は当然医師になるための学問的要件が必要とされます。社会で医師といえば最低、そのような要件を満たした人を「医師」と考えるのであり、医師になるための学問それ自体を必要としているのでないということでしょう。」
医者になるためには、最低の要件を満たさないといけないのですよね???
なのに、その最低の要件である医師になるための学問それ自体は必要ないのですか???

5.「その人が社会で果たす役割を職業というかたちで実行する場合は、大学での学問が重要なのではなくその役割を果たす「その人」(パーソナリティーも業務知識も能力も成果も含めて全て)が重要なのであり」

「その人」には、学問という知識というものは含まれないということでしょうか???
だとしたら、なぜでしょう???

6.つぎに補足としてですが。
 僕の意見w高校の単位制には、反対です。
 高校生はまだまだ未熟で大学受験に関する知識に関して乏しいと言わざるを得ません。
 その中で単位制を敷くことは、平等な受験機会を与えることにならないと考えるからです。

 自由と義務の間柄を認識するには、まだ若すぎると僕は考えました。完全自由競争を高校生に課すことは、ますます、家庭環境の違いによる不平等を引き起こすと考えます。

えと、、少し理解ができなかったのです。すみません。
ネット上での議論ですので、ゆっくり話し合い相互理解しあえたらいいと思います!!!
【2006/10/29 13:01】 URL | けんじぃ #- [ 編集]

ご質問について
こんにちは、ご質問ありがとうございました。
とりあえずご回答いたします。
ただし、このようなご質問に答えるということはこのテーマについて何か建設的な議論が成立するようには感じませんので、これで最後にいたしましょう。

さて、
1.「何らかの仕事をしている・していた人であればわかると思うのですが」
こうおっしゃっていますが、僕は仕事をした経験が4年くらいなので、わからないのでしょうか???
何年くらい、もしくはどういう職業をすれば、わかるものなのでしょうか???


これは「何時・何分・何秒?」というように確定期日や期限を言えるようなものではないでしょうし、「これはどう? あれはどう? それはどう?」というように限定した職業を言うものではありません。これは恐縮ですが、質問をするための質問のように感じました。
主題は、「その社会で自分がするべきことをするという立場」に主体的に気づけば ということです。
「主体的とは何?」というご質問が想起されるかもしれませんが、それをやり始めても無意味なのでやめましょう。一般的な「主体的」という意味です。

2.「その社会で自分がするべきことをするという立場であれば、その意味においてなにを学んでも同じだということです。」
ある社会で自分がするべきことをするという立場とは、一体具体的にはどういうものなのでしょうか?
管理職とか、係長とか、はたまた、医者とか弁護士とか、社会で果たすべき自分の職業ということでしょうか?


このご質問で「ああ、そうか」と思いついたのですが、お仕事をなされているということですが、業務遂行上での自身の役割機能は何かということを示されたご経験も考えたご経験も理解したご経験も多分結果としてお有りにならないのではないでしょうか。
職業の種類やステータスでの役割機能も当然「立場」に含みますが、立場とはそれだけではありません。
「今その目の前の業務についてあなたは何をする人ですか?」ということです。具体的ジョブからミッションまで含むでしょう。
「すべきこと」は限定列挙的・個別的に挙げられるものではありません。
例えばけんじぃさんは公務員になってみんなに笑顔を見せるということが社会での立場なのでしょうし、その入庁から退職にいたるまで日々具体的に手がける業務を何のためにどのようにetc実行するのかという対役所・対国民・対住民・対家族・対自身の立場があるでしょう。
これらの立場を実行するということは、大学で地球物理学を学んだという人や行政法を専攻したという人での違いは何もないでしょう。

3.「その人が選んだ職業で問われることは、職務における個人業績もしくはその組織での合計業績であり、加えて評価されることはそのプロセスと情意と職務に対する考え方とふるまいでしょう。」
職業で問われること=評価されることと捉えていいのでしょうか?


そうですね。またここで「問われる」というのは「質問される」とか「疑問視される」とかという言葉の読み方をされているのではないかと考えてしまったのですが、不明確な使い方をして申し訳ありませんでした。
「問われる」とは「重視される」ということです(一般的な使い方だと思っていたのですが)。
けんじぃさんがどのような方法で人事評価を受けているのかわたくしは存じ上げないのですが、職業で重視されるということは即ちそれによってその人が評価されるということに他なりません。
「その職業で重視されること」=「その職業を必要とする組織(会社や官庁などの組織)がその目標を達成するために必要な項目」である以外にないでしょうし、ゆえにその職業で重視されることのその人の達成度合いをその組織が評価することによってその人にとってはそれをさらに達成しようという意欲や、その仕事・職業への取り組み意欲や、さらにその組織への参画意欲が高まるということだと考えています。
また外部からの見方もそのような貢献度合いによることもあるでしょう。ただしこの場合、いくら「貢献度合い」といっても、例えば、「あの人は○○を実現するためにあそこでがんばってるよね」というような話し方のレベルのこともあると思います。「貢献度合いの評価の表現とはどのようなものか」ということはあまり硬直化して考えても意味がないでしょう。
このように、けんじぃさんのご質問の通り、「職業で問われること(重要視されること)=評価されること」と考えます。

4.「とても簡略化して言ってみることにします。例えば社会では医師を必要とします。その医師は当然医師になるための学問的要件が必要とされます。社会で医師といえば最低、そのような要件を満たした人を「医師」と考えるのであり、医師になるための学問それ自体を必要としているのでないということでしょう。」
医者になるためには、最低の要件を満たさないといけないのですよね???
なのに、その最低の要件である医師になるための学問それ自体は必要ないのですか???


これは私は既に書いているところなので再度書くのはどうかとは思いますが、学問それ自体が必要かどうかということを言っていることではありません。
どうもこれもご質問のためのご質問のような気がしないでもないのですが。
というか、不必要な学問などありますか?
「役割を果たす」ということについて申し上げていることなのです。

要するに、われわれが現実の日常生活で必要としている医師というのは医師になるために必要な学問を既に習得している医師なのであって、その学問を必要としているのではないということだというしかありません。
けんじぃさんの行動はわからないのですが、普通医者に行くときは生きている医師・既に医師になっている医師のもとに行って診察してもらうのですが、その医師というのは医師の技量・技術や人柄などは当然、既に医師であるという事実が必要です。この「医師である」ための条件にそのために必要な学問は当然習得しているということがあります。
「社会における医師の役割とは何か」というようなご質問があるかとも思いますが、これはごく一般的常識でよいと思います。
要するにわれわれはこのような医師が必要なのであり、医師である前提に学問があるということです。ゆえに、われわれが現実に必要とする医師は「そのような要件を満たした人であり、そのような人を「医師」と考えるのであり、医師になるための学問それ自体を必要としているのでないと申し上げています。

5.「その人が社会で果たす役割を職業というかたちで実行する場合は、大学での学問が重要なのではなくその役割を果たす「その人」(パーソナリティーも業務知識も能力も成果も含めて全て)が重要なのであり」
「その人」には、学問という知識というものは含まれないということでしょうか???
だとしたら、なぜでしょう???


恐縮ですが率直なところ、この点につきましても最初から理解しようということではなく疑問点を見つけようとお考えになられているように感じられたました。
さて、その職業でその人が役割を果たすために大学での専門分野の学問領域を必要とするときは大学での学問は直線的に必要でしょう、しかし当然そうでない場合もある。
これはしごく当たり前のことです。
ここで言っているのは、素直に読んでいただければ、職業上の役割遂行で必要とされるのは現にいる「その人」なのであり、大学での学問ではないということです。
例えば、けんじぃさんがあるところで働く場合、その組織ではけんじぃさんその人が必要とされたのであり、その場合けんじぃさんの人柄やその組織で求められる意欲や能力や成果の期待や今まで培ってきた学問知識など全体一体を判断されてけんじぃさんは求められたのでしょう。
だから、なにも学問を職業と対立するものと捉えなくてもいいと思います。重要なものはその人であり、いくら知識や学問があったとしてもその人が職業を遂行した組織からスポイルされる人は多くいますし、その組織を壊してしまう人も多くいます。これはその人が果たすべき役割機能を果たさないことから生じるものではないでしょうか。

6.つぎに補足としてですが。
僕の意見w高校の単位制には、反対です。
高校生はまだまだ未熟で大学受験に関する知識に関して乏しいと言わざるを得ません。
その中で単位制を敷くことは、平等な受験機会を与えることにならないと考えるからです。


けんじぃさんがそのようにお考えになられることは分かりました。更に申し上げることはありません。

とりあえずご回答まで。
【2006/10/29 15:06】 URL | aozora #Kdhexrh. [ 編集]


こんばんわ。aozoraさんすみませんでした。

僕は単純に言っておられる意味を誤解しないように理解したいと思いました。
だから、文章で意味が理解できないところについて質問したのです。

「質問のための質問」とか、「理解しようというのではなく、疑問を見つけようとしている」といわれて、このことがどういう意味なのかも少し理解できていないのですが、これがaozoraさんには、不快に思われているように感じ反省しております。申し訳ありませんでした。

これからは、もっと理解力をつけていきたいと思ってます。
【2006/10/29 21:53】 URL | けんじぃ #- [ 編集]


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